「静かに君が降る夜に」
 天気は、快晴。
 ここ数日、空に張っていた薄い雲は去り、久々に気持ちの良い一日となった。
 とても過ごしやすかったのは、天候だけが理由ではなく、他にも色々とあったからだ。


 朝、いつも通りに起床して朝食の席につくと、円卓の中央には大きな花瓶に大量の白薔薇が活けられていた。
 両手で持つにも余りそうな量が、ほとんど手を加えられずにそのまま花瓶に活けられている。
 贈り物を頂くことはあるが、庭園に咲いていたものをそのまま移したような姿には違和感を感じ、丁度食事を運んできた侍女に聞くと、私の実家から今朝早くに届いたものだという。
 暫く考えて、やっと答えを思い出した。
 今日は、私の誕生日なのだ。
 まったく忘れきっていて、こうして薔薇を見るまでは露ほども思い出しはしなかった。
 しかしそうと気付いてみれば、毎年律儀な執事は、母の命日と私の誕生日に、こうして白薔薇を送り届けてくれる。
 淡い芳香の漂うその白薔薇を、亡き母はとても好んだのだという。
 私も、それを知っているから、この花が好きだった。
 執事はそれを承知で、実家の庭に咲く白薔薇を丹精して、こうして年二回、私のもとに届けてくれるのだ。
 朝露のついたままの白薔薇を見ながら食事を取り、私は今日が良い一日になる予感がした。
 そしてそれは、やはり当たっていたのだ。


 昼までは、ゼクセン騎士団長としての私に面会を求めてくる人々と顔を合わせ続け、それだけであっという間に終わってしまった。
 最近は、評議会よりも私を頼って請願してくる傾向があるようだ。
 今や器ばかりとなった評議会の混乱が収まるまでは、それも致し方ないことだとは割り切っているが……。
 そういった者達の中には、贈り物と称して賄賂を持ち込む輩もいる。
 予め丁重に断りを入れた上で、それでも持参してくる者はサロメにブラス城の外に放り出すように命じているのだが、どれほど厳重にしても、どうやってか監視の目を潜り抜けてくるものが後を絶たない。
 近頃の頭痛の種でもある。
 打算の籠もった品物を受け取るより、真心の贈り物の方が、どれほど嬉しいことか。
 贈り物といえば、珍しいことに、ロランから短刀を貰った。
 謁見室を出て昼食に向かうところを呼び止められ、振り向くと、ロランが私に銀の鞘の付いた短刀を差し出しているところだった。
「私が使うために捜させていたのですが、これは私の手には小さ過ぎますので、宜しければクリス様に使っていただければ、と」
 と、淡々と言って短刀を示したまま、あとは口を閉ざして長身のエルフが立ち尽くしていたので、私もどう応じるべきか迷ってしまい、短刀を受け取って鞘から引き抜いてみた。
 鞘に施された精緻な紋様といい、短刀の輝きといい、一目でそれと分かる業物だったので、気軽に受け取るには躊躇いが生じてしまい、ロランに一旦は返そうとしたのだが、寡黙なエルフは、私が受け取ったのを確認すると、後は頑として受け取ろうとせず、結局、私が頂く形になってしまった。
 礼を述べると、軽く首を振り、一礼してすぐに去っていった。
 そのまま短剣を握ったまま昼食に向かい、先に来ていたサロメに「誕生日の贈り物ですか?」と聞かれて、私は思わず苦笑してしまった。
 ロランにそのつもりがあったのかどうか、いきなりのことで私はすっかり聞きそびれてしまったのだ。
 本当のところは、どうだったのだろう?
 だが、まあ、誕生日に貰ったのだから、そうだと勘違いしておいても、悪くはあるまい。
 何しろ、あのエルフから物を譲り受けたのはこれが初めてなのだから。


 サロメは以前から私の誕生日を承知していたらしく、ルイスと二人で誕生日を祝ってくれた。
 彼は昼食の料理を、ルイスと二人で全て作ってくれたのだ。
 お陰で、昼食はいつになく楽しい一時となった。
 私の好物ばかりが並び、三人で楽しく昼食を取った。
 サロメは評議会に出向中のボルスからワインを預かっていて、それを一杯だけ出してくれた。
 「くれぐれも宜しく」と念押しして、ボルスはサロメに託していったそうだ。有難く頂いた。すっきりした甘味の白ワインで、とても美味しかったと、ボルスが帰ったら伝えよう。
 デザートは、レオが厨房のコックに作らせたというチーズケーキだった。
 私は知らなかったのだが、サロメが笑いながら、レオが実は大の甘党で、このチーズケーキに目が無いのだと教えてくれた。
 成る程、確かに美味しかった。今度からは、時々食後に出すように頼んでみよう。


 思えば、自分の誕生日を誰かに祝ってもらうのはとても久し振りという気がする。
 勿論、執事は忘れずに毎年白薔薇を届けてくれるし、どなたからか贈り物を頂くことは何度かあった。
 だが、執事は家中の者であるし、それ以外は赤の他人から儀礼的に祝ってもらっているに過ぎなかったのだ。
 だから、自分自身の誕生日に、それほど注意を払う必要はなかった。……今までは。
 今年は、違う。
 サロメ達が、それぞれ心を込めて私の誕生日を祝ってくれた。
 そのことが、私の胸の内を温めてくれる。
 ……けれど、自分の欲の強さを思い出すのは、こんな時でもある。
 ここに、その理由を記すのはやめておこう。
 後で読み返したとき、自分の身勝手さに赤面する事になるのが解りきっている。
 今日は、良い日だった。もう夜も遅い。その予感が外れなかった事に感謝して、もう眠る事にする。





 ……もう少しだけ、書き足しておこう。
 今日の分を書き記して、ベッドに向かった私は、寝台の上に置かれた包みを見つけて首を傾げる事になった。
 心当たりのない、茶色い包みが、ベッドの上にぽつんと置かれていた。
 それを手にとって中を開けると、柔らかい手触りの、品のいい藤色のショールが出てきて、その間から小さな紙片が零れ落ちた。
 拾い上げて二つ折りになったカードらしきものを広げると、そこにはただ、
「貴女に幸あれ、と願いを込めて。
 ……今宵、同じ空を見上げております」
 と書かれていた。贈り主の名はない。
 私はカードを持ったままショールを広げ、夜着の上にそれを羽織った。
 しんと冷える夜気から、ふわりと暖かく守ってくれる。
 自然と、笑みがこぼれるのが自分でも分かった。
 名など書いてなくとも、この気取った文を書いたのが誰なのか、私は知っている。
 そう思い、もう一度カードの文面を読み返して、そこに込められたメッセージに気付いた。
 私はショールを羽織ったまま、ランプを持って、自室を出、城の城壁を目指した。


 パーシヴァルが騎士団を出て故郷に戻ってから、既に半年が経とうとしている。
 その間、便りが来たのは最初のたった一度だけだ。それ以来、音沙汰は無い。
 あちらの状況もあり、それは仕方のないことだと思ってはいたが、不満があったのが、正直なところだった。
 もう騎士団には関係がないとはいえ、個人的な繋がりまでは切れることがないと思っていたのは、私の過信だったのだろうか、そう気になりだした矢先に、贈り物は届いたのだった。
 城壁に登り、見張りの兵が驚いて敬礼をするのにおざなりに返して、私は早々に彼らをその場から追い出した。
 夜着姿でこんなところまで団長がやってくるのを見て、彼らは驚くというより慌てていた。
 今の私はその様子を気に掛けるより、悪戯が成功したような可笑しさを感じている。……パーシヴァルの悪癖が、まるで私に移ったようだと思うと、また可笑しかった。
 薄い夜着にショールを羽織っただけでは、冷たい外気を防ぐことは出来なかったが、それを堪えて、私はランプを足元に置き、夜空を見上げた。
 徐々に暗闇に目が慣れるにつれ、夜空に瞬く星の姿を捉えるようになる。
 ――その時、一条の光が視線の先を一瞬にして流れ落ちた。
 眼を凝らして見直すと、また一つ、星が流れてゆく。
 その場に佇んで夜空を見上げていると、それはぽつりぽつりと虚空を横切り、地平線の果てへと滑り落ちていった。
 今夜は、流星が観られる晩だったのだ。
 パーシヴァルはそれを知り、私にあんなカードを寄越したのだろう。
 ただ独り、黙って空を見つめていた。
 同じ空の下に、パーシヴァルはいる。
 今この時は、私のことを星に願ってくれているのだという。
 それを想うと、私の心は満たされていた。
 私には、他の誰にでもなくただ一人だけ、私の誕生日を祝って欲しい人がいたのだ。
 それを今さらのように自覚し、その願いが叶えられていることにも気付いて、思わず息を吐いた。
 今の私には真なる紋章が宿り、その力がある限り、身体が老いることはないという。
 不老の身となれば、年齢など、これからは意味を持たなくなってゆくのだろう。
 けれど、皆は変わることなく私の誕生日を祝ってくれた。
 そして、一番欲しかった祝福も、こうして得ていた。
 ……星に願を掛けて貰うまでもなく、私には幸福が与えられている。
 そのことが、パーシヴァルに伝わるように。私は、そう流れる星に願いを込め、目を閉じて祈った。
 そして、彼がつつがなく故郷で過ごせるように。
 いつか……いや、願い事を欲張るのは良いことではないだろう。


 私が想う人に、どうか幸あれ。それが、今夜の流星に掛けた願い事だ。



                     ・・・THE END・・・